たくさんの命を奪ってきたけれど、身近にいるひとがある日突然に事切れるという感覚がいまいちわからないでいる。
 この戦国乱世に戦忍として生きる以上、これまでに何度かそういう場面に遭遇したことはある。でも、そのひとのことをあまり親しいとか、身近だとか、とてつもなく悲しいとは感じなかった気がする。
 そしてそれが姫さんの身の上に襲い掛かるかもしれないということもまた、信じられない。まだあんなに笑えるのに、元気そうに見えるのに、それでもひとは死んでいくのだという。まだ決まったわけじゃないだろう、終わったわけじゃないだろう。それなのにどうして皆して、そんな絶望的な顔をするんだ。ちいさな希望にすがるのは、そんなにも悪いことなのか。…誰かの生に執着するのは、これが初めてかもしれない。どうか姫さんには逝かないで欲しい、生きて欲しい。


 何かの書物を読んだなかに、こんな話があった。
 あるところに、貧しい女がいた。その女には幼子がいたが、突然死んでしまった。愛児の死に深く嘆き悲しんだ女は、子を生き返らせる薬を求めて彷徨い歩いていた。当然、死者を生き返らせることのできる薬などあるわけもなく、町の人々はそんな彼女の姿を見てはあざけり笑ったが、それでも女は諦めなかった。
 その様子を見るに見かねた一人の男が、徳の高いひとならば女を正気に戻すことができるだろうと思い、女にそのことを教えた。女はその誰かさんを訪ねて、我が子を生き返らせて欲しいと頼んだが、そのひとは
「家々を回り、今まで一度も死者を出したことのない家から芥子の種を一粒貰ってきなさい」
 と言っただけだった。
 女は言われたとおりに家々を訪ねて回ったが、結局、芥子の種を手に入れることは出来なかった。死者が出ない家なんてないからだ。そこで女は漸く、我が子が二度と目覚めないことを悟ったという。


 誰にでも等しく生が巡ってくるように、死もまた訪れる。呼吸をして生きている時間が長いか、短いかの問題だけで、行き着くところは皆同じ。
 とどのつまり、俺様は、姫さんを死の存在しない世界へ連れて行くことはできないってことだ。


「……で、何が言いたい」
「かすがは相変わらず冷たいねえ。ま、支離滅裂だってことくらい、自分でも分かってるけどさ」
「貴様とこんな話をするために、ここへ来たわけではない! 私はただ謙信様に頼まれて…!」
「知ってる知ってる。また、姫さんによく効く薬を持ってきてくれたんでしょ」
 実を言うと、姫さんの先天的な病は薬でどうこうできるようなものじゃない、らしい。それでも、大将の好敵手であるかの御仁は薬(姫さんへの手紙つき)を送ってくれるのだった。そしてその薬を持ってきたかすがをつかまえて、昔どこかで読んだ話を聞かせてみたら、思いっきり嫌な顔をされた。
「相当、だな」
「なにが?」
「貴様の、寿々姫に対する執着心だ」
「執着だなんて人聞きの悪い! 誰だって、ひとが死ぬのは嫌でしょ」
「無表情でひとを殺すヤツの台詞にはとても聞こえない」
「だってあれはお仕事だもーん」
「気色悪い言葉遣いをするな!」
 青筋を立てて怒るかすがの拳を一発食らいそうになる。それは当然なんなく避けたけれど、そのままかすがは帰ってしまった。俺様が言うのも変だが、まともな会話をした気がしない。


 あの夜から数日が経ち、結局姫さんの部屋には行けずじまいだった。姫さんにしてみれば、冷たく突き放されたと感じたって不思議ではないから、そうした張本人である自分はなんとなく顔を出せないでいた。
 けれど、とても気になる。また意地を張って無理をしていないかとか、ずっと泣き伏せたままだったらどうしようとか、考えれば考えるほど心配が増えていく。それでも姫さんのところに行けないのは、ただ単に俺様が臆病なだけ。姫さんが涙を流すところを見たくない、っていうのもある。姫さんの涙は、彼女ごと消してしまいそうな気がして、なぜか俺様を不安にさせるから。そして、それは自分の無力さを、まざまざと見せ付けるのだ。


 やれやれ、と頭を掻きながら屋根のうえで寝そべる。脳みそではこんなところで油を売ってちゃいけないってことを分かっているのに、このまま不貞寝でもしてやろうかと思うくらいに身体は動こうとしない。困ったもんだ。


「……さすけ、佐助!」
 眠りに入ろうとしていたとき、ふと自分を呼ぶ声が遠くから聞こえた気が、した。それはたった数日間聞かなかっただけなのに、懐かしいと感じてしまうような声。実はずっと聞きたくてたまらなかった声。


 さっきまで感じていた気まずさなんかすぐに頭のなかから消えて、次の瞬間にはその声の主の前へと降り立っていた。
「佐助。いままで、どこにいたの。わたしが呼ばないと来ないなんて」
「ちょっとね。…ひさしぶり、姫さん」
 言い訳すらうまくできなかった。縁側に立ち、着物をかき合わせてこちらを見おろしている姫さんは、とがめるような視線を向けた。こころなしか、顔色が悪いような気がする。
「さみしかったんだから」
「うん、ごめん」
 このまま外の空気に当たっていたら、姫さんの身体が冷えてしまう。部屋に入ろうと促すために俺が口を開くより先に、姫さんが言った。それは至極穏やかな声だった。まるで他愛もない話をするような、


「ありがとう、佐助。わたしのわがまま、いっぱい聞いてくれて、ほんとうに、ありがとうね」
「な、にが、…姫さん、どうしたの」
「佐助におわかれをしようと思って。もうすぐだってこと、分かるもの」


 苦しげに胸を押さえてふらりと傾いた姫さんの身体を、ためらうことすら忘れて思わず抱きとめた。いまなら触れることを赦されるだろうか。


 それはとても軽くて、だけどちゃんとあたたかくて、どうしようもないくらい泣きたくなった。