他人の血で汚されることほど、不快なものはない。
 敵方に感づかれないように情報を探るのが忍の役目だ。主から命令があれば、暗殺をしたりする。
 まあ、こんな俺様でも、人間だから?たまーにヘマをするときがあって、そういうときは俺様を見つけた人間を始末しなくちゃいけない。
 派手な立ち回りをすることは避けたいから、出来るだけ血を出さないように殺すけれど、やっぱり人間だから?たまーに失敗すると返り血を浴びちゃったりすることがある。
 そんなヘマをした自分を嫌悪する。一人前の忍としての誇りとかもあるわけだしさ。血の感触も、匂いも、心地良いものだとは到底思えないし、いくら忍といえども、なにも好んで血を見たいわけじゃない。
 でも、それを不快だと感じていられるのは、あとどれくらいだろうか―と思うときもある。いつの日か、感覚がすべて麻痺してしまいそうで怖かった。忍として生きていくには、それが一番いいんだろうけど、ね。


「―そういうことで、特に変わりはありませんでした。ちょっと俺様がヘマしたくらいですかねえ。こんな格好で失礼しますよ」
 夜半の庭先に降り立ち、大将に報告をする。あー血の匂いが気持ち悪いなあ。早く洗い流してしまいたい。表面上だけでも。血なまぐささは、なかなかとれないんだよね。いくらこすっても、消したい過去は消えないから困ったもんだ。
「珍しいこともあるものだな。うむ、ご苦労だった」


「…大将、なにかありました?」
「やはり佐助は鋭いのう。お主の洞察力には敵わぬわ」
「…寿々がな、倒れたのだ」
「姫さんが?」
「いまは大事をとって静養中よ。しばらくは"日向ぼっこ"もおあずけかもしれぬのう」
 …動揺は、押しとどめられたと思う。姫さんが倒れた?俺様が不在の数日間に、そんなことがあったなんて。
 短く嘆息する大将の表情は、まさに愛娘を心配する父親のそれだ。洞察力も何もあったもんじゃない。武将の顔じゃなくて、ただの父親の顔に変わっているから、だからわかるんだよ。
「また寿々を見舞ってやってくれ」
 その言葉に頷きをひとつ返して、庭から消えた。


 大丈夫だろうか。姫さんのことだから、きっと寂しくて悔しい思いをしているんだろう。昔から、倒れたときにはいつも、布団のなかで泣きそうな顔をしていたのを覚えている。会いたい。なんだかすごく、姫さんに会いたいと思ってしまった。そして何を思ったのか、俺様はいま姫さんの部屋の前にいる。こんなことをしていちゃいけない。何よりも、いま自分は彼女に見せられるようなナリをしていない。帰らなければ、


「佐助、そこにいるのでしょう?」
「…さっすが姫さん、よく分かったね」
「なんだか久しぶりな感じがするけど」
「お仕事、に行ってたんだよ」
 やれやれ、俺様もまだまだ未熟だねえ。勘が鋭い姫さんに気配を当てられてしまった。でも、部屋には入らないよ。血の匂いはきっと、いや絶対、姫さんの身体に毒だから。薄い紙で隔てられたいまでさえ、血が姫さんのところまで匂わないか心配しているのに。
「こんな時間まで起きてちゃだめでしょ」
「眠れなくて」
「でも、ちゃんと寝なくちゃ」


「…佐助の命は、あとどれくらい?」


「俺様の命?」
 唐突に投げかけられたそれは、不安をそのまま音にしたような、とても小さくて弱弱しい声だった。
「わたしの命は、あとどれくらい? どれくらいの時間を、みんなと一緒に過ごせるの?」
「そんなの決まってるじゃないか。ずーっとだよ」
「…うそ」
 きっと、姫さんは気づいている。自分の命がもう永くないってことに。時間が迫ってきていることに。それでもつとめて明るく、いつでも笑顔でいようとする姿はとても健気だ。そうするのは、周囲の人間に心配をかけたくないからっていうことも、わかっている。だから、ずっと一緒にいられる、なんてのは嘘なんかじゃなくて、俺様の切実な願望。これくらいの願いを許してくれないのなら、神様は相当ケチってことになる。
「じゃあね、姫さん」
「こわいの、さみしいから、ねえ、いかないで。佐助、おねがい」
「……おやすみ」

 姫さんが怖がるのは暗闇か、孤独か、迫り来る死の刻限か。それとももっと別のもの?まるで幼子が駄々をこねるような、それでも悲痛さを滲ませた声を振り払った。一方的に会話を断ち切ると、存在を消さずに、気配だけ消した。
 暗い部屋のなかから漏れてくる嗚咽は、たとえ胸がどれだけ苦しくなっても、ひたすら聞こえないふりをした。いますぐそばへ駆け寄って、その細い身体を抱きしめたい?
 いくら姫さんと近しい存在だからって、そんなことを思っちゃいけない。昔みたいに、気軽に頭を撫でることもなくなった。姫さんは自分なんかが触れていい人間じゃないんだよ。俺様は忍、陰、闇。漆黒は音を吸い込んで、なにも聞こえない、感じない。夜はひとを弱くするんだ。そう、ただそれだけの、こと。何も知らないように輝く月の明るさが憎らしかった。


 いかないで、ってお願いするのは俺様のほうだよ。ねえ姫さん、逝かないで。