夜更けの逢瀬
あいして、あいして、あいして。
記憶の中の自分は、いつもそうやって縋りつこうとしている。どんなに冷たくされても、蔑まれても、罵られても、その愛が欲しくて欲しくてたまらなかった。
「ええい、近寄るでない!醜い化け物め!」
―ばけもの。
―どうして自分は愛されない? このみにくい右目のせい? ぜんぶぜんぶ、梵が悪いの? この世に生まれてきてはいけなかった?
―ならば、どうして生まれた?
可哀想なその幼な子は、愛情のひとかけらでも欲しくて、無様だと分かっていても、惨めになると知っていても、その小さな手を必死に伸ばしていた。昔のように、やさしい声音で名前を呼んで、微笑みかけて欲しい。
多くは望まない。願うのは、母の笑顔。ただそれだけだった。
「…Shit! 胸くそ悪いモン思い出しちまったぜ」
政宗はガシガシと髪をかき乱してそう呟いた。湿った空気が雨の訪れを予感させる。夜はもうすっかり深く、草木でさえも眠っているというのに、目が冴えてしまってどうにも再び寝付けそうになかった。
これもすべて、今しがた見た夢のせいだろう。否、それは夢などではなく、彼自身の脳内に記憶として刻まれているものだった。
あの冷たい視線も、刃のように突き刺さった言の葉も、伸ばして非情に振り払われた手も―
しんみりと、たいして美しくもない過去に浸ることは好まない。けれど忘れようとしても、じわりじわりとこころの表面へ染み出してきてしまうのもまた事実であった。そういうときは決まって、失くしたはずの右目が疼くのだ。むしろ右目が昔を思い出させるのかもしれない。戦で負った傷は癒えるというのに、目に見えぬ傷というものはなかなか厄介で、いまだに癒えることを知らないらしい。
ああ気色の悪いこと―そう言ったのは己の生みの親だったか。
気分まで、底なしの闇に落ちていくようだった。
「梵天丸さま、」
沈みかけた気持ちを掬い上げるように、突如として気配もなく背後の暗闇から声が現れる。自分の周りで未だにこの名を呼び続けるのも、一国の主である政宗の寝所へ、このように無遠慮な現われ方をして許されるのも、ただひとりだけしかいない。だから政宗は、確信をもってその名前を呼んだ。
「紅寿。今回は、いつにもましていきなりじゃねえか」
「梵天丸さまの元気がなさそうでしたので、やって参りました。紅寿は何でもお見通しなのですよ」
「HA! 奥州筆頭がこんなザマたァ、とんだお笑い種だな」
微笑んだまま、するりとやってきた紅寿は、政宗の自嘲的な言葉には何も返さず、その指で眼帯をやさしく撫でた。
昔から幾度となく為されてきた動作だからか、これだけで安心できる自分がいる。何かまじないをかけたわけでもないのに、疼きが消え、こころが軽くなるのがわかる。
そして、決まって紅寿は言うのだ。
「だいじょうぶですよ、梵天丸さま」
*
不思議な女だった。
紅寿は、目に見えて年を取らなかった。はじめて出逢ったときからもう十年以上の月日が経っているというのに、その頃と変わらないうら若い女の姿でいる。いつか、自分は中途半端な存在だから、中途半端にしか時間を生きられないのだと言っていたような気がする。人間と同じ時間の流れを過ごすわけでもなければ、永遠を生き続けるわけでもない、と。
それでも、今までの時間が一気に流れ込んできて、ある日突然に紅寿が土へかえってしまうかもしれないことに、幼き日の政宗はひどく怯えていた。紅寿が土くれのようにばらばらと崩れ去って、存在していた跡形すらもすっかり無くなってしまうことがいつも恐ろしかったのだ。…今も、その恐怖がないと言えば嘘になる。
しかし、その不安を紅寿に打ち明けたところで、子ども扱いされるのは火を見るよりも明らかだったから、この恐れが生じた幼い頃より、政宗は決して言うまいとこころに決めていた。
「さあ、おやすみなさい」
乳母よりも安心できる声。纏う空気の心地よさ。こころは落ち着きを取り戻し、再び寝付けそうな気がして、政宗は目を閉じる。
「紅寿」
「なあに? 梵天丸さま」
「いい加減、俺の嫁になれ」
「…お戯れを。寝言は夢のなかでお聞きしましょう」
元服を経て梵天丸から名を改めた政宗が、今までに幾度となく繰り返している台詞。それを、紅寿はいつものようにまた笑って受け流した。
もう一度彼女は「おやすみなさい」と呟いて、その手のひらで政宗の両目を覆う。ふわりと、あたたかな闇が広がった。この色は、彼女のうつくしい髪のそれに似ていて、恐ろしくない―年甲斐もなく、ふとそんなことを思った。