ここ数日のうちに、青葉城はにわかに慌しくなった。その原因は、我らが主である伊達政宗公の婚姻が決定したことにあるのだが。突然降って湧いたその知らせに、家臣はもとより女中たちまでもが、(残念がる声も一部あれども)一気に浮き足立った。
でも、俺も皆も一様に怪訝に思ったのは、迎えることになるその奥方様についてだ。噂に聞けば、どこかの大名の娘ではないらしい。だからと言って、民草のなかから見初められたわけでもない、という。
そのような正体の知れない娘(年ごろは十七、八で、まあ殿とも俺ともあまり変わらない)を娶るということで、上のほうのお偉い様たちはいい顔をしなかったけど、結局は殿の強引な押しに折れる結果となったわけだ。(そのときの殿の気迫ときたら、そりゃもうすごかった。天下取れると思った。)
城内の者たちの(範囲を広げれば城下の者たちまでの)口にのぼることといえば、もっぱら奥方様のこと。謎多きそのお方のことがあまりにも気になったので、無理やり殿本人の口から聞き出してみれば、彼の御方(紅寿様、というそうだ)はなんと長く自分の片想い相手で、最近やっと正室になることを承諾してくれたらしい。心を開かせるのが大変だったという。(にやにやしてますよ、殿)
どれくらい片想いをしていたのか、と尋ねれば指折り数えて、「…十年くらいか?」と予想もしていなかった答えが返ってきた。ひい、ふう、みい…あれ、九つのときからずっと?……これは純愛とかいう範疇に入れてもまだ大丈夫だろうか。短気な殿にしては、ずいぶんとながい間頑張ったようだ。
自分の知る限り、まったく恋愛の気配なんてなかったはずで、彼女をどこかに囲っていたのかと疑問を口に出せば殴られる始末。囲っていたり、通っていたわけではないらしい…訊いただけで殴られるなんて、いやー口は災いのもとだね。
そういうわけで、殿は最近すこぶる機嫌がよい。そりゃ長年の片恋が実ったんだからねえ。もう奥方に部屋を与え住まわせ(え、いつの間に?って感じ)、執務がないときはほとんどそこに入り浸っていて(ここに行けばだいたい殿を捕獲できる)、もう傍目から見ていてびっくりするくらいの溺愛ぶりだ。
実は、俺も前にこっそり垣間見たことがあったけれど(そのあと殿にボコボコにされた)、第一印象は大人びた美しいひと。纏う雰囲気が優しそうで、瞳が蒼色をしていたのには驚いた。それはすごく綺麗な色をしていた。なかなか見慣れない容貌だけれど、殿は一向に気にしていないらしい。
小十郎は今回のことについて何か知ってそうな様子なのに、どれだけ訊いても決して教えてくれなかった。曰く、「政宗様ご本人がいつか語られる、かもな」。かもな、って…確証なさすぎじゃん。んー、ちょっとワケありなお方なんだろうか。
謎は深まるばかりでも、殿も嬉しそうだし、紅寿様も(ちょっと見た限りは)割と幸せそうだし、小十郎も安心しているみたいなので良しとしておく。うん、小十郎が安心するってことは絶対大丈夫なんだろうな。
城の者で紅寿様のお姿を見かけたことがある者はとても少ない。どれだけ秘蔵なんだよ、殿。その数少ないうちの、殿が自ら選んで紅寿様のおそばにつけた女中たちは口を揃えて、素敵、お美しい、お優しいという言葉を連発した。(たまに聞く神秘的なお方です、が一番気になったが)とにかく褒めまくるので、こりゃ一度(垣間見程度でなく)しっかり見ておかなきゃね!
ということで、今、
「初めてお目にかかります、紅寿様。伊達成実と申します」
殿が執務中でいないのを見計らって紅寿様のお部屋を訪ねてまーす!伊達成実のお部屋訪問です。殿にばれたら殺されるかもねこりゃ、と思いながら。ま、俺も懲りないっちゃ懲りないヤツなんだけどねー。
「あなたは、以前にちらりと…」
「あー、あの時ですね、殿に半殺しにされたやつ」
ぱちぱちと瞬きをしていた紅寿様は、この前のやりとりを思い出したらしく、大変でしたね、と控えめに笑って続けた。
「政宗さまから、よく成実さまのお話は伺っています」
「…殿が何か変なこと吹き込んでません?」
黒く流れた髪、白い肌、蒼い双眸。無意識にぽけーっと見ていたらしく、紅寿様の声で我に返る。つーか、殿、おかしなこと言ってないよね?変な先入観を持たれたら困るぞ…!?
「気の置けない仲間だと、そう仰っていました」
「よかった。変態とか言われてたらもうどうしようかと」
「そう、なんですか?」
「え? いやいや、違いますよ、全然違いますよ! 全っ然!」
…口に袖を当てて笑いを堪えているようだけど、肩が震えてますよ、紅寿様。
「ごめ、ん、なさい、成実さまの慌てようがおかしくて、ふふ」
控えめにじゃなくて、こうやって声をあげて笑えば、大人びた顔もいくらか歳相応に見えた。綺麗なだけじゃなくて、可愛いところもあるんだなー。くっそー、殿が羨ましいぜ!
「紅寿様は普段なにをなさっているんですか?」
「やってくる小鳥と遊んだり、女中さんとお話をしたり、…花嫁衣裳、を見繕ったりしています」
あれれ、花嫁衣裳って言う前にすこし間があったぞ。目も伏せちゃうし。ちょっと、殿、とんでもないことやらかしてないよね?既成事実とか作ってないよね?
「紅寿様、まさか、どこかから殿に無理やり攫われて来たり…?」
「いえ、そんなことないですよ、ちゃんと同意、の上です。ただ…」
じっと見つめて、言葉の続きを待つ。
「わたしなどが政宗さまのお隣にいていいのか、と不安で。このしあわせが怖いのです」
しあわせ、なんだ。嫌々じゃないってことがはっきり分かってよかった。
つまるところ、あれだ、きっと紅寿様はまりっじぶるう、とかいうヤツなんだな。(前に殿が惚気のなかで、ちらりとそんなことを言ってた気がする)
「大丈夫ですよ!紅寿様は殿の隣にいてください。殿があなたを必要としているんです、それ以上の理由はいりません」
「そういうものなのですか?」
「はい!」
力強くうなづいた俺に安心したのか、紅寿様はほっと息をついた。すこしでも気を楽にしてもらえただろうか。ありがとうございます、と微笑まれると不覚にも心拍数があがってしまう。いやいやいやいや、落ち着こうよ俺。
「そうだ、お話ついでに、成実さま。どうかわたしのことは様付けで呼ばないでください」
おっと、とんでもないことを言い出したぞこのお方。
「でも、紅寿様は殿の御正室になられるお方ですし…」
「様付けされるのも、かしずかれるのも慣れていなくて。紅寿様、なんて呼ばれると、やはり隔たりを感じてしまいます。お友達もいないんですよ、わたし」
それは殿が、紅寿様にひとをあまり近づけたがらないからだと思う。過保護なのも、ここまで来ると考えものだね。本人は、そうしてるつもりはないんだろう、とは思うが。紅寿様が窮屈な思いをしていないといいんだけど。
「小十郎さまも、前までは紅寿殿、って呼んでくれていたのに…」
しゅんとする紅寿様。ん?小十郎とも面識があったんだ。だからあんなに小十郎は今回の件を後押ししてたのか。つーか俺除け者じゃね?なんか悔しい。これでも殿との付き合いは長いほうなのに!
「じゃあ、俺が友達第一号ってことで!」
「いいんですか?」
「そりゃもう、身に余る光栄です」
「うれしい!ありがとうございます、成実さま」
じゃあ俺のことは成実って呼んでくださいね。いやそれはさすがに…、いやいや殿の御正室ですし…、あはは、うふふ、とおだやかに笑いあっていたら、不意に軽やかな笑い声が途切れて、視線が俺の後ろへと向けられた。あははは〜いや~な予感…
「いよお、紅寿との会話は楽しかったか?成実」
「げ、殿…」
と の が あ ら わ れ た 。もう仕事終わらせてきたの…?!
「この前の半殺しだけじゃ足りなかったみたいだなァ…Are you ready?」
「え、ちょ、ま、待って!」
やべ、指をバキバキ鳴らしてる殿の目が本気(と書いてマジと読む)だ。殺される…!ずっと執務やってたせいで気が立っているっていうのも殿の殺意に拍車をかけている気がする。
「ひー! 紅寿ちゃん、助けて!」
「Ah? 紅寿"ちゃん"…だと?」
しまった、やっちまった!だって、年が近いし?とかそういうこと言ってられない!あーもう俺のおばか!助けて小十郎!いやでもこの状況で小十郎が味方してくれるかわかんないな?!
「てめえ、いつの間にそんなに仲良くなってんだ? 成実ェ…Go to hell!!」
「ぎゃあああー!」
俺はいま、殿に殺されかけているけど、その様子を見て紅寿ちゃんが笑うものだから、殿も俺も笑ってしまった。
心を通い合わせているふたりはとても、しあわせそうだ。
贈る言祝ぎ
「殿、おめでとうございます」
「…Thanks」
「あ、照れてる~」
「Shut up!!!! どうやらまだまだ足りねえようだなァ…?」
「いや大丈夫です十分です、ちょ、殿、待って、ぎゃあああー!」