銀色の猫は闇を纏い、

「美しい、実に美しい夜だ! 信長公、これがあなたを燃やす炎です!」


 見えますか、信長公―
 炎がすべてを呑み込んでゆく様子を見て、狂ったように光秀さまは笑う。いや、もうすでに狂っているのだろう、か。わたしには、目の前の光景のなにが可笑しいのか分からない。
 おそろしい魔王をも喰らおうとしている我が主は、高らかに笑い続ける。それが魔王よりもなによりもおそろしく見えて、足から力が抜けていった。この身すら焼かれている心地がする。炎の熱さを感じているはずなのに、わたしの身体はうすら寒さで震えている。

「弔いの炎…嗚呼、燃えてしまう…全て燃えてしまうのですよ! ねえ、信長公! あなたにも見えているでしょう!」

 夜の帳に、笑い声だけが空しくこだまする。薄々、気づいてはいた。これはいつかは来たであろう、終焉なのだ。こんなことをしても渇きは癒えないとわかっているはずなのに、光秀さまは魔王を手にかけた。

「どうして…、どうしてですか光秀さま!」
 濃姫さまは、蘭丸くんは、信長さま、は―その答えなど、聞かずともわかる。すべてが燃えているのだから。
 生を焼き尽くす、死の炎。あとかたもなく、なにもかもを焼きつくそうとする炎が踊る。うごめく蛇のように。その様はまるで我が主のよう。
雛菊
 ごうごうと燃え盛る音がする。闇夜を照らしながら、炎は舐めるように、あらゆるいのちを飲み込んでいく。
 そんな中でもわたしの耳は光秀さまの声を拾った。
「…たったいまから私はあなたの主人ではありません。どこへなりとも好きなところへ行けばいい」
 唐突に笑いをおさめて、どうして、というわたしの問いには答えず、炎をその瞳に映したままで光秀さまは言った。 
「お別れです、雛菊
 光秀さま。なぜそのようなことをおっしゃるのですか。
 こんなときでも、その横顔は美しい。そんな光秀さまがいま何を考えているのか―なんて、わからない。これまでに幾度となく努力してきたことだったけれど、たった一度だって、そのこころを推し量ることなんて出来やしなかった。いつでも、光秀さまは遠かったのだ。
 けれど、それでも良かった。ただ、お側に仕えることができるだけで良かったのだ。

「嫌です…光秀さま! 置いていかないでください! わたしは、」
 さよならなんて、したくありません―
 別れることを拒否するこの気持ちは、主従のものだろうか。それとも、一緒に居たいとこいねがうこの感情は、別の何ものかだろうか。曖昧な想いのなかで、光秀さまと離れてしまえば、もう二度と会えなくなるという予感だけを確信していた。

「貴女との日々も、なかなか愉しいものでしたよ」
 視線がようやくこちらを向いた。でも、すうっと細められたその瞳にわたしがちゃんと映っているのかどうかさえ、あやしい。
 光秀さま、光秀さま。あなたはどこにいらっしゃるのですか。

「では、ごきげんよう」
 まるで、いつもと同じように明日が来るようなそんな言い方をして、ゆらりゆらりと銀糸をなびかせながら。


雛菊、貴女も見るといい。私の生き様を、ね」

炎のなかへと消えてゆきました。

Image song: 銀猫(天野月子)